マーガレット【マヤ暦 青い夜のストーリー】

私は今、ひとりで「川と海の境目」を眺めている。少し右に歩くと海がひろがり、少し左に歩くと川になる。ちょうどそんな場所。

いつも隣に座っているはずのアスカもいない。今日は何となくひとりでここに来たかったから、誘わなかったのだ。大好きなカルピスチューハイを片手に、まん丸の月の下で、ほんのり海の匂いのする風を感じながら、ただただぼんやりと水が左から右に流れていくのを眺めていた。

今日は満月だったんだ。

ふと真っ黒な夜空を見上げると、そう気づいた。

私はあのまん丸の月みたいに、今満たされている。いや、今だけじゃない。私は生まれた頃から、いつも満たされていた。

大企業で順調に出世コースにのっているサラリーマンの父と、料理や手仕事が大好きな専業主婦である母。そんな絵に描いたような夫婦の間に生まれた1人娘。大事にされないはずがない。仲のいい両親と、手入れの行き届いた大きな2階建ての家と、お金の心配なんてしたことのない日々。

整ったキレイな顔をしていると、親戚やご近所さんや友達によく言われた。友達は多くはないけれど、その時々で仲のいい友達が数人いたし、男の子からめちゃくちゃモテるわけではないけれど、その時々でいつも気の合う男の子が隣にいて、仲を深めてきた。でも1人で過ごすことも好きだったから、だれかが離れていくことを恐れていなかった。むしろずっと一緒にいられることの方が不自然だと思っていたので、今目の前にいる人と楽しく過ごすことしか考えてこなかった。

そんな私のことを周りの人たちは「いつも幸せそう」とか「落ち着いている」とか「悟っている」とか言うけれど、私だって私なりにその時々でいろんな想いや葛藤を抱えている。

人とは不思議なものだ。

欠けているならば、満ちたいと思う。満ちることを目標に体や心をせっせと動かす。

そして満ちているならば、欠けたいと思うのだ。わざわざ満ちている自分を捨てて、欠けている自分を手に入れたいと思う。

そもそも、何が満ちていて、何が欠けているのかは曖昧なのだけれど。

ただ、「自分が自分に満足している」ということを「満ちている」というのだとしたら、私はどんなときも満ちていた。

満月のときはもちろん、欠けているように見える半月や三日月のときも、そして欠けているどころか何もなくなったようにさえ見える新月のときも。

私はいつでも満ちている。